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病院は緊張する所になってきました 。

昨日は、バセドウ病の診察のある日でした。

今は2週間に一度の受診です。

薬による治療が開始されてから2か月弱?かな・・・・。

最初は、症状が酷かったのでメルカゾールという薬を一日3錠と

心拍数が、120以上もあったのでアテノールという、狭心症のお薬も飲んでいました。

一日中、布団に入っても体は走り続けているような状態だったんです。

それなもので、常に心臓がバックンバックンしていて

呼吸が苦しい! というのが付き纏いました。

食事の支度するのにも、何度も休んで休んで

疲れてどうしようもない状態で

暑さに弱くて、少し動いただけで額のあたりから汗が筋になって流れていました。

嗄声(させい)と言って、声が枯れて人と話すのがとても苦痛な日々が続いていました。

食べものが飲み込みにくくて、食欲も減退しました。



この病気に罹る人の人口比は

圧倒的に30代40代と、若い世代の、しかも女性が多いんですね。

特徴的なのは、甲状腺ホルモンの分泌が過剰に増えるため

疲れることも疲れますが、食欲も増進し

食べても食べても、痩せる。と言うのが特徴的なようです。



しかし

私は、その罹患率の年齢幅から外れて、61歳になってからの発症です。

色々と、同病の方の情報を知りたいと思い

ブログなども読ませて頂いたりしているのですが

発症年齢が私よりずっと若くて、

再発したり、再再発したり、と。

そういうお若い方の症状もほぼ私と同じではあるんですが

私に当てはまらないのは

嗄声(声枯れ)が顕著で、もう人と話すことができなくなるのでは・・?

と思うくらい、耳鼻科に3か月ほど通っても原因を突き止めることなく通院を止めた

という経緯があります。

それに、一番大きかったのは皆さんと同じ甲状腺機能亢進症なのに

食欲が逆に減退し、頑張って食べても、喉越しが悪くて

ますます、食べるのが苦痛でした。(今は食欲も戻りました)


それなもので

発症当初は、病気前の体重から丁度10キロ減りました。

元々が太り過ぎだったので、10キロ痩せても見た目はちっとも痩せた!!

という感じではありませんでしたが

私を知っている人からは、「痩せたね」と言われたりはしていました。

(そうそう、その体重もわずかに戻り始めています。薬の効果ですね。)

初めて見る方からしたら、全く痩せてる人には見えないとは思いますが・・(苦笑)


とにかく疲れが酷くて

30分以上の買い物は出来ませんでした。疲れて歩けなくなりました。



その他の症状としては、手が震えて紙に文字が書けませんでした。

初診で行った時に書かされる問診表は、看護師さんも首をかしげるような

うねうねと、波打った文字で判読が出来ないような文字でした。

両手を前に突き出すと、手はぶるぶると震えてたし

立ち仕事で立っている間は脚も小刻みに震えていました。

体中が震えているような感覚がありました。


背中や太ももなど、小さな針でちくちく刺されてでもいるように、痒くて

夜中じゅう手の届く限り掻きまくっていて

引っ掻き傷が消える事がありませんでした。


年齢が行ってからの発症の場合は、バセドウ特有の眼症は出にくいそうです。

喉の腫れもとくには見当たりません。

発症年齢によって、少しづつ症状に差があるのかな・・・と

他の方の記事を読ませて頂きながら感じています。


ただ、薬のコントロールはほんとに大変だっていうのが最近分かり始めました。

メルカゾール3個からスタートしたのですが、

手足が吊ったり、眠れなくなったり、腕や首周りに湿疹が出たり

不具合も出始めて

血液検査と小まめににらめっこです。

2週間前にメルカゾール3個から2個に減らし

脈拍が、今度は少ない状態になってきたので

心臓の方の薬は止めてみることになりました。

それと、不眠状態を解消するために、眠剤が処方されました。


そして、昨日の受診で

血液検査で、肝機能障害が起きていることが分かりました。

これも、薬の副作用と思われる。とのことで

3錠から2錠に減らしたメルカゾールを

今度は更に減らして、今日から1個だけになりました。


この病気の治療法は3つで

一つは、飲み薬での治療

一つは、放射線

一つは、過剰にホルモンを出す甲状腺自体を手術によって取り去る。


薬以外の方法は、後々にまでメンテナンスが必要なようで

治療の選択肢としては、やはり一番患者に負担の少ない飲み薬から

始めるのが一般的なようです。


でも、困ったことに

この治療薬は2種類しかない。と私は言われました。

今飲んでいる薬の他、もう一つは効果が少ないと言うような表現をされていました。

もし、今の私のように、現在の薬によって、肝機能障害が著しくなれば

この薬を止めなければならなくなるのですが、

もう一つの薬はおそらく、あまり期待できないかもしれません。


そうなると、次の選択肢として放射線、もしくわ手術。

という事になってしまいます。


薬の数を減らし過ぎると、元の症状が戻ってきてしまうでしょうし

多すぎると、いくつかの副作用が強く現れたりします。

それなもので、小まめに血液検査をして

薬の種類や量をコントロールし続けていなければならない。

病気はどの病気も同じだと思いますが

細目に体の状態を点検し続けていかないと

日常生活の質も下がるし、ひいては命の長さをも左右することになるのでしょう。


今の時代のように

私が今服用しているようなお薬がまだ開発されていなかった時代

そんな時代に生きた人たちは

こんなに辛い症状に耐えながら、主に女性たち(女性患者が多い病気なので)は

体のしんどさを理解してもらえなかったり、治療の方法も無かったり

常に走っている状態の心臓を抱えていては、それは寿命をも圧迫したでしょう。

現代が、長寿社会になって来たのには、

大きく納得する物があります。



毎回診察して下さる先生が違う。

という、今日はどんな先生かな?と

それももはや楽しみの一つになっていると

以前書いた事があったのですが

果たして、昨日の担当の先生は一番最初診て下さった先生でした。

5回目にして一巡したのかな・・・とも思いましたが

たまたまだったかもしれません。

この先生は、放射線や、手術の選択肢を説明の中に

ちらほら、言ってくる先生なので

いつも楽しんで行っていた通院がちょっとだけ

気分が沈む思いがしました。


8時を過ぎて、採血の順番を待つ番号札の数は60番をも、とっくに越えます。

みんな、それぞれ、検査結果に一喜一憂

私だけの事じゃないんだ・・・・・・・。







最後までお読み下さって有難うございました。

拍手クリック、コメント有難うございます。








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車が戻ってきた事と、病気の様子

前回、書いたブログですが

私の車があの日の翌日に戻って来ました。

修理の依頼をする前の状態

後部ドアのぼこんとした凹みがあるままに戻されていました。

「もう、直さなくてもいいや・・・。無事に帰ってきてくれて良かった・・・」

とほっとしています。

修理に行く日、ドアに言いました。

「ごめんね。私の不注意で凹ませてしまって、ほんとにゴメンね。今までありがとう!」

って、お別れもちゃんと言いました。

お別れを言って、綺麗なドアに生まれ変わって戻ってくるはずだったのに

あんな事になるなんて・・・・

揉めるかと思ったけれど

修理工場さんは、すんなりと私の要望を受け入れてくれました。

どうやら、ドアを仕入れた社長さんは、

仕事は一人だけいる従業員さんに任せっきりなようで

ドアの傷の様子など把握していなかったらしいです。

実際に交換作業をする従業員さんS君と言うそうですが

S君は、取り替えろと言われたので取り替えたけれど

内心(えっ!、こんなのと入れ替えていいのかな・・・?)と思ったらしいです。

その事が社長さんに伝わったのか

お金を払えとか、そういう事は今の所言ってきていません。

これで、お金払えと言われたら、空いた口を閉じようがないではないですか・・・。

取りあえず、一件落着となりました。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー🌼


数日間留守にしていたこともあり

仕事が溜まっていました。

一昨日は仕事先の掃除や草むしりに半日作業がかかり

車が無かったので、(修理工場から戻ってきていず)

大した距離ではないですが、徒歩で行き、作業が終わった時はへとへと疲れて

家に戻るのに車がないから歩いてなのですが

やっぱりまだまだ、バセドウ病の治療の身

疲れが一気に襲ってきて、帰り道の足が上がらない事!

家に戻ってからは、ドアを開けたとたんに廊下に倒れこみました。


明日は、その診察がまたあります。

メルカゾールという薬の副作用が強いのか

昼となく夜となく、手や脚がつる事が数回あって

前回、薬の数を一個減らしたのですが

減らし過ぎても不具合が出るだろうし

多すぎると副作用が強く出るし・・・難しいようです。


それに、一番辛いというか困るのが、眠れない事でした。

月一回行くクリニックからは、メイラックスという睡眠導入剤を出して頂いていたのですが

それではもう対応しきれないくらい不眠が続きました。

体が、眠ることを拒否しているみたいに足が吊ったり、

体全体がこわばる感じ?があって

とても眠りにつけるような状態にならないのです。

そこで、

今バセドウを診て頂いている総合病院の先生にその事を告げて

少し強めの睡眠剤を処方して頂きました。

その薬を飲んだ夜は、数日間分の眠りに着くことが出来ました。








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なんでこんなことになるの!?

もうじき62歳になろうとしている私

現在乗っている車は生涯で最後の車になるのかな・・・・

と、大切に乗っていた筈の車を

数か月前にフェンスにぶつけてしまい

左、後部ドアを凹ませてしまった。

という話を、いつだったかブログに書きました。

修理に出そうかどうしようか・・というような事を・・・・。



しかし、

あれから数か月が経つのに

結局、修理もせぬまま、乗り続けています。

走行にはなんの支障もないし、

ただ、見た目がちょっと気になるので

いつの日か、修理に出したいなぁ・・・と、考えてはいました。




そんな中、一昨日の事

夫が中古のドアが見つかったから

明日、知り合いの修理工場へ持っていくから

車内の大事なものは取り込んで置くように。

と言われたのです。


(あらぁ!! 中古のドアが見つかったんだ! 良かったぁ~!)

と内心思いました。



翌日、夫はその修理工場へ、ドアが凹んだ私の車で出かけて行きました。

ちなみに

私の車はミニバンタイプで後部ドアはスライドドアです。



予算が無かったので、手動で開く扉です。

その修理工場さんには中古を探して欲しいと頼んだ時に

車検証のコピーを渡した上に、更に手動ドア であることを念押ししたそうです。


行ってから、

中古ドアの代金と脱着工賃でいくらくらいかかるかと聞いたそうなんですが

なんとも、はっきりとした返事がなく

見積もり書もなく

夫特有のなぁなぁで、交換を頼んだらしいです。



夫自身、昔修理業だった頃の経験がありますから

交換だけなので1時間もかからないと思って、

そのまま待っていようとしたそうです。

そしたら

なにかしら様子が変で

食い下がって質問したら

仕入れた中古ドアは、手動式ではなく

オート式のドアだったという事が分かりました。

そうなると

商品自体の値段も高いわけだし

オートドアの内張りの中身を入れ替えしなければならないのです。


手動式のなら

脱着作業だけで良かったのに

ドア内部の交換までしなければならず

当然手間もかかり、工賃が上がるというわけになります。

そこで

夕方には納車します。という約束で、代車を渡して夫を帰した。

ということになります。

(しかし、私の中に大きな疑問が沸きました。 なんで注文したものじゃないのが届いたのに、それを受け入れるのか?)



話を聞くと、そもそも取り寄せる段階で

手動式ではなく、オート式だというのを最初から分かって取り寄せたらしいです。

その負担は当然、支払者の私にかかってくる訳です。

それだもの、幾らぐらいかかるかな?と聞いたのに対して

すんなり言えないわけですよ。取り寄せてしまったものは返品できなくなるしで・・



こんな、いかようにも承服できないような流れで

私の車は夕方戻って来るはずだったのに

待てども待てども戻って来ませんでした。

遅れますとも、今日は無理になったとも

電話の一本も来ず

夜7時半、その工場は終了していて誰も電話には出ません。


翌日(今日)11時頃に納車に行きますという電話が入り

その時、私は仕事先にいたので自宅には戻れませんでした。


昼頃自宅に戻ると

私の車が戻ってきていました。

ほっと一安心したのも束の間

交換されたドアを見ると

前のドアより酷い状態のドアがついているではありませんか!!

愕然としたも何も・・・・・・

夫に電話で連絡して出先から戻ってきてもらい

車を見てもらいました。

流石の夫も、びっくりしたようです。


私の車を工場に持って行った時には

交換用のドアが段ボール箱に入っているところは見たと言っていましたが

オート式であることはその時に打ち明けたそうです。

ただし、凹みがあることや、傷が縦横に深くあることは知ることが出来なかったらしいです。


それは本当だと思いました。

私の電話で、戻ってきて確認した時に初めて見た反応でしたから・・・。


その後、修理工場の社長さんと電話で話しました。

これでは、元のドアより酷いので、こんなくらいなら元に戻して欲しい。と


その後すぐに

夫はその車に乗って、修理工場へ向かいました。

私は、この今までより酷い凹みと傷のドアを付けて走る気は無い!と

伝えました。

まるで誰かにいたずらされたみたいに縦に横にと深い傷がめり込むようについていたんです。


傷の部分はタッチペンで塗って誤魔化した跡がありました。



悪意は無かったと思うのですが

酷過ぎる~~~!

もう、今日の私はショックが止まりません。




さて、夫はどんな結果を持って帰ってくることでしょう・・・・・・・・・。







最後まで読んで下さって有難うございました。






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関東での数日あれこれ

下肢静脈瘤のレーザー治療を受けてから4か月目

治療後の状態を診て頂くための診察を受けて来ました。

エコー検査をしました。

脚の血流が段々に戻ってきているとのことでした。

取りあえずは安心しました。

見た目、静脈瘤のぼこぼこも殆ど気にならなくなってきています。


嗚呼!良かった~

と思ったら、次は(治療後)6か月後の診察を・・と言われたので

あらぁ・・・まだ終わらないんだ・・と密かに思いましたが

今度こそ最後の診察になればいいな・・と思っています。


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今回の関東行きは、とても有意義でした。

まず一番大きかったのは、お友達と会うという目的です。

普段、友達も少ない私なので

生活に楽しみの起伏が殆どありません。

誰かと会って、新鮮な刺激を頂けるのはこんなにも有り難いことか・・・

そう、思わずにいられませんでした。

当たり前の事ですが

人は皆生きるスタイルが違います。

もしも、自分がマンネリに埋もれて暮らしていたなら

誰かとの出会いは、新しい素敵な服を与えてもらえたような嬉しさです。

服は例えだけれど、なんでもいいです。

毎日、緑茶を飲む習慣だったのが

ある日、ほうじ茶を飲んでみたら凄く美味しい事に驚いた。

とかね。

ん~~、ちょっと上手に例えられないですが

なんとな~く、分かって頂けたら嬉しいかな・・・。


本当に、心から楽しいひと時でした。



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娘が、大学時代の同期会が都内のホテルである、と言うので

私は、二人の孫たちの子守役をすることになっていました。

その日、たまたま娘の旦那さんも休みになり

(日曜日だったんですが、日曜でも仕事があることがあって、休めるかどうか分からなかったのです)

休めないかもしれない・・・と言っていたのが休める事になったので

娘は都内へ出かけ

私と婿さんと、孫2人で一時間半ほどかけてドライブに出かけることになりました。

花園インターを降りたところに美味しい蕎麦屋さんがあるというので

蕎麦好きの私たちはそこへ向かったのでした。

そこには「フォレスト」というパン屋さんといいうかスイーツが沢山のお店が隣にありました。

私は、とにかくパン好きで

これもあれもと、こんなんにいったいいつ食べるの?

と呆れられるほど、山ほどパンを買い込みました。



翌朝

クロワッサンとメロンパンが合体したようなパンを孫たちの朝食に出してあげたら

朝はなかなか朝食が食べ進まないのに

美味しかったのか、もぐもぐ頬張っていました。

買ったパンを娘宅に残したまま帰ると娘に叱られるので

私もいつもの朝食より多めにパンを食べました。

私の体はパンで出来ている?といっていいくらい。

大のパン好きです。

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孫が幼稚園に入ってから今年で2年目です。

娘が、うまく交友関係を築いているのか

そのおかげか、私も関東へ行った時にはお迎えに同行したりします。

子育てはとても大変で

数人のママさん達の苦労話も聞くことがあります。

娘は知り合いもいない土地で暮らすことになってから

積極的に交友関係を築こうと頑張ってきたのが感じられました。

今では

お友達になった人のご家族にお誘いを受けることもあって

その恩恵で

私にまで美味しい物を下さったりします。

「今度いらした時には、近くのお店で、お茶でもご一緒に・・・」とのお声も頂きました。

娘が頑張って、それに私が乗っかるみたいな・・・

そんな楽しい期待感さえ貰えた気がします。



カメラを持って行かなかったので

出かけた先の写真は一切ありませんが

お蕎麦を食べてパンを山ほど買った帰り道

「仙元山見晴らしの丘公園」に立ち寄りました。

そこには、全長203メートルのローラー滑り台があるんですが

段ボールでできたそり状の板を買い

それに座って、股の所に子供を座らせて二人づつで滑ったんです。

滑り台事態が物凄く見上げるほどに高いし

滑り台とは言え、スタート地点に座ったら急に怖くなってきました。


しかし

孫は嬉しそうにはしゃいでいるし

さぁ!踏み出さねば・・・・

脚で蹴りを入れてゴロゴロと滑り出しました。


滑り出して10mもしないうちから

私は「怖い!怖い!」 を連発するばかり

しまいには、滑り台の壁部分に自分の足でブレーキをかけながら進みました。

高さが半端なくて、怖くて

2歳の孫はキャツキャツ喜んでいるわ

私は青ざめるわ


そもそもジェットコースター系が大っ嫌いなのです。

まさか、あの滑り台があんなにジェットコースター感があるとは・・・・


怖くて怖くて

ようやく下に辿り着いた時には

ブレーキもどきの両足のくるぶしに青たんができていました。(;゚Д゚)

孫たちは楽しそうで、もう一回もう一回とせがんだけれど

私はもうパスです。

婿さんに一人づつ、更に二回滑ってもらいました。




高所恐怖症、61歳!!

肝心なことを忘れていました。

滑り台、甘く見ました・・・・・・・。 (-_-;)







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今日のあれこれ

関東にやってきてました。

昨日は、下肢静脈瘤のレーザー治療を受けてから、二回目の診察を受けてきました。

脚の血流はかなり良くなってきているそうで、安心しました。

遙々、関東の病院まできて、レーザー治療を選びましたが、

これほどまで体になんの負担もなく、脚が健康を取り戻せたことに

自分でも、驚いています。

地元で治療したなら、「手術」と言う選択肢しかありませんでした。


勇気を出して、遠くまできて治療を受ける。

と言うリスクは移動費用と、知らない病院に飛び込む不安定でしたが、


案ずるより産むがやすし、で、色々調べて探し出したクリニックは

結果、長年悩んできた、脚の重だるさをすっかり取り去ってくれました。



あとは、6ヵ月後となる診察がありますが、

孫達に会えると言うおまけが付くので、苦にはなりません。




関東に着いて、駅まで迎えに来てくれた娘の車に乗り込み

そのまま、直接幼稚園のお迎えに行きました。



帰り支度をして

玄関に並んで、お座りしている様子が見えました。

ガラス扉越しに

孫の姿を探して見回していると、

こちらを向いて、小さな手を振ってくれている姿が見えました。



娘が言っていました。

「お母さんが来るって言うとさぁ、チビ達はもう、ばっぱフィーバーが物凄いよ~!」

(ばっぱ、とは私のこと)


それは最大級の嬉しい言葉だけれど、

3日もしたら、そんなチビ達も、

「ママ、ママ」連呼に戻るんですから、、、

最初の1日2日だけがフィーバーだわ


歳のいったばっぱの私にはそれくらいがちょうどいい、



使用期限

と言ったところかな、、、(笑)







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通院が楽しみになってきました。

今日はバセドウ病の診察日でした。

診察を受ける前に血液検査を受けなければなりません。

小さな容器に3本採血されるのですが

結構な量だなって、いつも思っていたので

看護師さんに聞きました。

「これ3本分でどれくらいの量なんですか?」

そしたら、「容器を見るとかなり多いように見えますけれど、これ全部で中さじ一杯分くらいだと思いますよ」

と仰いました。

そうだったんだ・・・てっきり容器の見た目からは20ccくらいにも見えていたので

そんなに大量ではなかったことにほっとしました。

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採血を待つ番号札を持って順番待ちをしていたとき

目の前を白衣を羽織った若い男性が通り過ぎて行きました。

朝八時過ぎの診察の始まる時間だったので

自分の担当の部屋へ向かっていたのでしょう・・・・。

もしも、白衣を羽織っていなかったら

その様子はただのチャラい男!!(失礼な言い方、すみません ) 

さっきの白衣はいったい何科を診る先生なんだろう・・・・ チャラ男だぁ~~~


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー🌼


自分の持っている診察番号が電光掲示板に表示されたので

中待合室へ進みました。

長い廊下の先の椅子に腰かけて間もなく

「○○○さん、7番の診察室へどうぞ」とマイクで呼ばれました。

とんとんとドアをノックしてスライドドアを開けて中へ入りました。

手荷物をかごに入れて前を向くと

目の前には、ついさっき見かけたチャラ男!!・・・・あ、いやいや先生が・・・

(あのチャラ男先生が、まさかの自分の診療科の先生だったとは・・・・・・)


ここで、余談ですが

私はこの病院に紹介状を頂いてから、今回で4回目の受診です。

病名はバセドウ病です。甲状腺機能亢進症の症状が顕著でした。

この病院には内分泌科を診てくれる部屋が3部屋あります。

その3つのうち一つのお部屋が大学病院から派遣されてきた医者が配属されているみたいなんです。



私は、その最後のお部屋、

つまり大学から来た先生に診てもらうことになっていて

行く度、医者が違うんです。女医さんだったこともあるし、

診察内容はパソコンで共有されています。

こんな感じで診察に行くものだから

毎回診察日が来る度、今日はどんな先生だろう・・・って楽しみにもなってきました。

前回の先生はちょっとがっかりでした。新米ぶりがもろ出しでした。

正直不安になりました。

そして、今回の先生はチャラ男?

チャラ男と、失礼な事言ってしまいましたが

実はこの先生が、4人目にして最も医者らしい診察をしてくれました。

病気の事をしっかり勉強しているなぁって、感じたし

まず、私の話をよく聞いて下さる。

聞いて、考えて、明確な説明を下さり

処方箋の量、種類を検討して下さり

「はい、では今まで通りの薬で・・・・」等という事はありませんでした。



私は、メルカゾールという薬と動悸を抑えるアテノロール

という二種類、それと極度の不眠症で導眠剤もいただいています。


病気の性なのか、薬の副作用なのか

ここのところ、脚がよくつるし、手の指までつって、痛くてなかなか元に戻らないこともあります。

さらには、発病当時は頻脈で、脈拍数が120とかあったのが

最近は逆に徐脈で、心拍数が60あるなし

半分に下がりました。

手足がつる、脈拍が少なくなる。不眠

薬の量によっても体調に影響が出ます。

それなもので、小まめに診察を受けてチェックし続けなければなりません。

手足がつるのは筋肉内の電解質やミネラルバランスが関係していると思われるそうです。

病気の関連と処方薬の関連性が考えられるそうです。

それで、今回は薬の量を一錠減らしてみることになりました。

導眠剤も少し強めのに変えてもらいました。(とにかく眠らないと・・・)



次回は2週間後です。そしてその時は採血で電解質も調べてみると仰っていました。


チャラ男先生・・いろいろ有難うございました。

チャラ男なんていってごめんなさい。






前回は沢山の拍手クリック、感動のコメントも頂いて有難うございました。力づけられました。

コメント下さった皆さま有難うございます。花束を抱えるように胸に抱くように読ませて頂きました。

クリック押して下さった皆さま有難うございます。



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思い切って感謝の気持ちを言いました

気が付けば

最近、モラハラ夫の愚痴を書くことが少なくなってきました。


日常に重苦しい空気が流れる事が若干減ってきたことに気が付きました。

そりゃ、全くそんなことが無くなった。というわけでは勿論ないですが

でも、考えてみると、少なくなってきたな・・・って思います。




昨日、行きたかったライブのチケットが抽選に当たって買えることになったと

喜びの気持ちを書いたのですが

嬉しい事が手に入ったから

気持ちが上ずっているというのでは決してなくて


本当は、だいぶ前から分かっていた気がします。

自営業を夫婦二人でやって

なんとか生活ができて

安物でも、欲しい物が買えたりして

そういう小さな幸せ感を

私は忘れていました。

生涯そんなに夢中になるものなんて無かった私の

六十過ぎてからの願いが手に入って・・・・


手に入れる為に不可欠だったものがあったことに

気が付いたんです。

それは、幸せを買うためのお金だったりするわけで

そのお金は、私の力だけでは手に入れることは出来なかったでしょう・・

それが自営業っていうものだって、思ったんです。


だから夫に言いました。

「今回のライブに行けることもあんたのおかげだって思う。」

素直に感謝の気持ちを言いました。

夫は、まんざらでもない嬉しそうな表情を

私に見せないように背けました。


でも、伝わったと思います。


鬼のような心の人間だと思ってきたけれど

いえいえ、まだまだそういう部分は確実にあるけれど

鬼にだって、真実の言葉は心をほぐすお砂糖になれる。

そんな、単純な事を今まで私にできなかったのは

自分の中にも鬼がいたからでしょうか・・・・・。



「我が家が不況に落ちてから」 お互いに優しさをどんどん忘れて行った

自分に欲しい物を買うお金が必要なら

相手にもお金が必要な時がある

そんな当たり前のことを忘れて、自分の事を優先していた

そういうこと

なんで、考えなかったかな・・・自分



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昨日

夕ご飯を食べ終わってテレビを見ながら何気ない会話をしていました。

夫は身振り手振りをしながら話をしていて

その時

数か月前に機械で切り落としてしまった

手の左中指が短いのが目に入りました。

ずっと、治療に通っていたのですが

先週で治療が終わって、痛々しかった包帯も取れて

縫い合わされた指の先があらわになりました。

ふと見ると、やっぱりちょっと違和感があります。

その事を言うと

夫は

テーブルの上から物を掴むようなしぐさをして見せて

中指が短いと、物をつかむのになかなか掴みにくい

と笑いながらやって見せていました。

ほんとだ・・・・物を掴むのに他よりちょっと長い中指は重要なんだ・・・



一つ一つ、健康を打ち捨てながら生きていく

まるでゲームの世界を思い浮かべました。

武器やアイテムを手に入れたかと思うと

対戦中にそれを奪われたり、壊れたり・・・

勝利を勝ち取った時には、ぼろぼろの我が身一つしか残っていないような


中指の短くなった夫は

まるでそういう戦いをしてきた戦士みたいに見えたのでした。








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何が何でも行きたいライブ

私の人生に、こんな事は滅多にない

大好きなロックバンドのライブに行きたくて

絶対に取れっこない! と思いながら

出来るだけの手段にチャレンジしようと

とある音楽事務所のプレミアム会員に登録をしました。

年会費がかかるけど、そこまでしてでも行きたい!

自分の年齢的に、こんな激しいライブは最後のチャンスとしか思えません。


プレミアム会員の先行予約をして抽選結果のメールが入るのを待ちました。


夫には酷い言われようです。

「いい歳して、よくお前恥ずかしくないなぁ~。」ですって

いつもなら、カチンとくる言葉も、ライブ行きたさに浮ついた気分の私には

ナイフをコッペパンに変えるくらいの威力にしか伝わりません。

なんとでも言って頂戴・・・・。




でも、あまりにビックなバンドだし、いくら先行予約ができるとしても

抽選に当たるとは思えませんでした。

だから、発表のメールも怖くて見たくない気分でした。



家の中で散々その話題をしていたせいで

塾の仕事の合間に息子から「どうだった? 取れたの?」とラインが来る始末です。

それほど、私の「ライブ行きたい!」の叫び?は家中に浸透していたんです。



メールには「チケットがご用意できました。」の言葉が書かれていました。

(うっそ~!!!) と声を上げました。  胸の中で・・

ライブに行きたいと言う私を

散々揶揄していた夫が目の前にいたからです。



同じく昔からファンだった娘と、二人で行くので

娘にこっそり伝えました。「チケット取れたよ~」  小さめの声で・・・・

小さい幼子達は父親の婿さんが見ていてくれるそうで、叶う事になりました。

(ほんとに、ありがとう!)




家族旅行もないし、夫婦で旅行したこともないし、

とにかく旅行なんてしたことない・・・

へそくりに活躍してもらうの

まさに、今でしょ!!

今を置いてないでしょ!!




このライブに行けたら

死ぬまで幸せを抱えて生きる事ができる気がします。  (大袈裟だ~)




読んで下さって有難うございます。





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我が子の生きる力を信じる

私には長男と長女の二人の子供がいます。

長女の方は大学を卒業したと同時に結婚をし

今時は珍しいかもしれない専業主婦をしています。

現在は、もうじき3歳と5歳になる子供がいるので働きに行っていませんが

来年は下の子も幼稚園に入るので、

パートを始めたいようなことを言っています。


なにしろ、向こう(関東)に力を貸してくれる親戚はいませんので

なにかあっても、助けてくれる人はなく

自分たち夫婦と幼子達だけです。


子供を産み、幼稚園に入れるようになるまで

まるで勝手の分からない土地に家を建て

町内会にも入り、今年は班長さんも務めています。


幼稚園選びはとても不安を伴う作業みたいでした。

子供にとって、何処が最善の場所なのか・・・

悩んで調べて、児童館とか支援センターとか

あっちこっちに出かけるようにして情報を掴む努力もしていました。

そうやって、私の知らない土地で娘は自分の力で

自分の生きる場所を踏み固めて行きました。


娘は確実に

自分の生きる場所を

自分の種を埋める場所を自分の力で見つけたんだ!


同時に、私の胸の中には安堵と、寂しさも少しだけ産まれました。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー🌼


昨日の未明に発生した北海道の地震ですが、

未だに電気が復旧していないところも沢山あるようで

インフラの完全復旧にはどれだけの時間がかかることでしょう・・・。


ここで話題が少し変わりますが

私の夫の唯一の友達の娘さんが

単身札幌に住んでいます。

その事を思い出して

夫に「そう言えば○○さんの娘さん、札幌にいたよね、大丈夫なのかなぁ1人で・・・○○さんに聞いてみたらどう?」

と言ったら、おもむろにメールを送っていました。

直ぐには返信は返ってこなかったけれど

少しして、「携帯の充電もなくなるし、仕事先へも行く手段がない・・・云々」

と娘さんから連絡が来たと。言っていたようです。

あのような状況で女の子1人でいるかと思ったら親は心配で仕方ないことでしょう。

たまぁ~に、ご夫婦共にフェリーに乗って

苫小牧かどっかから札幌入りする形で

娘さんの様子を見に行ってきたと、話を聞いたことがあります。

同じようなケースがたくさんあるようにも思います。

この子に1人で生きていく力がついたんだ!と確信できるなら

親も見えない糸が切れても

そこからはもう見守ることに徹することができます。

我が子の生きる力を信じることができます。


それが、繋いでいくと言うことなんですよね。






日本と言う小さな国が

今はもう痛々しく思えてなりません。

国土や先達が築き上げてきたインフラが

もろくも自然災害にひっかき回されて

頑張って災害救助に当たって下さる方々に

拝む気持ちでニュースの画面を見ています。




訪ねてきていただいて有難うございます。

拍手、コメント、クリック、有難うございます。




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備える心がけを考える

昨夜のこと

不眠症気味の私が珍しく熟睡していた頃

いきなり家が大きく揺れ

どんどん強くなっていくような感覚がして

跳ね起きて、まずは眼鏡を手探りしました。

洋服を持って一階に降りて行こうとしながら

寝ているだろうと思った息子の部屋のドアを開けました。

地震が来たら、まずはドアを開けて逃げ道を確保する。

その事が、幾度かの地震の体験から身につきました。

流石の息子も揺れの大きさに起き上がっていました。


そうこうしているうちに、揺れは収まりました。

地震が起きると、いつも震源が気になります。




私は小学生の時に大きな地震を体験しています。

十勝沖地震でした。

丁度、授業中の事で、全校生徒は校庭に避難が完了していたのに

私のクラスだけが逃げ遅れました。

二階だった教室の床がぱっくり口を開けたように

一階部分の天井が見える状態になっていました。

当時の校舎は木造だったのです。

急な揺れで、廊下まで出たはいいが、床が斜めになって

立つことが出来ませんでした。

私たちは、ロウで磨かれたツルツルの床にしがみ付くようにへばり付きました。

やがて揺れが収まり

私たちのクラスだけ防火扉の白い粉が降る中を下に降りて行きました。

校庭に辿り着いた時には、全校生徒が整列して並んでいました。

生徒と共に床にしがみ付いている担任の先生の顔を今でも覚えています。

先生のあんなに青ざめた顔を見たことがありませんでした。



校庭に整列した後は、どのような行動をとったのかもはや覚えてはいませんが

家に帰ってから

安普請でできた我が家が半壊状態になっているのを目にしました。

その夜も余震があって

家族で外に戸板を敷いて寝た記憶があります。

家の中は怖かったんですね。


50年も昔の記憶ですが

あの地震から数度

棚から物が落ちてくるような地震を体験しました。

停電が数日間続いたこともありましたし

断水で給水車に助けられたことも二度ほど体験しています。



一番近かったのは、やはり東日本大震災かな・・・

停電が数日続きましたし、断水もしました。

ガソリンが手に入らなくて

タンクローリー車を見かけたという話を聞くと

そのタンクローリー車の後を追い、ガソリンスタンドに給油したと噂が流れて

そこに長い給油を待つ車が一車線に長蛇の列となったことがありました。



水を一番浪費するのが水洗トイレです。

お風呂の残り湯を溜めておくのはあまり好きではなかったのですが

あれからは、直ぐに抜かないようになりました。

ガソリンは、ある程度メーターが下がったら、

出来るだけ給油して満タン状態に近いようにするとか

唯一の通信手段の携帯電話

車から充電できるように、車用の充電器を買って搭載しておくとか

スマホ等携帯電話は暗闇の中で灯りになりますし。

(いざと言う時は、コンビニはすっからかんになります。事前に買い置きを・・)


いざ!と言う時がいつ我が身に訪れるか分かりません。

少なくとも一週間は自らの備えで乗り切れる準備はしておきたいものです。




今回の台風被害、

そして、間髪入れずに起きた北海道の大地震

停電が続いていますね。  どんなに大変かなぁ・・と心配です。

北海道全土が停電なんて、驚くばかりです。



大阪の台風被害の大きさにも驚いています。

関空が冠水なんて、誰が想像したでしょう・・・・。




災害の被害の中にいらっしゃる方々に

心からお見舞い申し上げます。






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薄れていく人付き合い

私の住む地方では、心なしか秋の雰囲気が感じられます。

窓に下げた簾などはもう外そうかな・・・そんなふうに思える日が続いています。


今日は雨です。

庭では、水色の朝顔が雨の中で咲いています。

清々しい色です。

雨の中朝顔



今日から9月ですね。

カレンダーを剥ぎ取る時のパリッとした気分。

さぁ、今日からまた一か月頑張るぞ! って気持ちです。



関東や西日本でまだ30度越えの暑い日が続く中で

こちらはもう半袖では肌寒さを感じます。

三日ほど前に冬用のもこもこの敷物を敷きました。

もこもこ

早々と冬支度? っていうわけでもないのですが

足元を少し暖かくしてもいいかな・・・と思わせるようなひんやり感があるのです。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー🌼

昨日、卓球をしていた頃のお仲間だった人が

自家製の(旦那様が育てた)とうもろこしを持ってきて下さいました。


頂き物とうもろこし

その旦那さまも、たぶん80歳くらいにはなろうかと思うのですが

こま目に体を動かす方で、几帳面です。

(どこかの旦那とは大違い・・・どこかの? ここの旦那)

毎年この時期にもぎたてのとうもろこしを持ってきて下さる。

私は、いつも大したお返しもできぬまま頂きっ放し・・申し訳ないです。

卓球をやめてから、相当の年数が経ったので

当時の仲間も随分、歳を取りました。

私も歳を取りましたが、

みんなで集まる機会も、それに伴って少なくなりました。

寂しいものです。歳を取るとはそういうことにもつながりますね。


今日は土曜日ですが

朝のうち、事務仕事を少しやりました。

9月の第2週に入ったら関東に出かけて来ます。

下肢静脈瘤のレーザー治療を受けたあとの

2度目の診察を受けるという用事と

お友達に会うという楽しみな約束があります。



出かける前に

バセドウ病の診察があります。

思えば、今年は病院通いが増えました。

仕事上では10月にはイベントがあるので、今は準備期間です。

カレンダーにいくつか書き込みしました。

忘れないようにあっちこっちのカレンダーに同じ書き込みをしました。

目につく度に思い出す作戦です。

でも、人間忙しい方がいいですよね。

私の住む地域はコミュニテーがあまりありません。

住宅地から離れているせいもありますが

閑散とした草地があちこちにあります。


それに加えて、あまり社交的ではない性格の私

サークルに入る時間的ゆとりはあまり無いし

結局なんでも1人で動いていることが多いです。

歳を取ればとるほど、仲間づくりが大事なんでしょうね。

でも、皆がみなそのチャンスに恵まれている訳ではないように思います。

自分からチャンスを取りにいく・・・。

という気構えは、心のどこかに残して置くべきかもしれません。





お越しくださいましてありがとうございました。

拍手クリック有難うございます。







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花みっ子

Author:花みっ子
62歳を目前にバセドウ病になりました。
時々噴火する独裁人間の夫と共に38年。夫の大病を機に経営していた会社を解散し、夫婦二人だけの自営業に転身しました。家のローンはあと3年。まだまだ働き続けなくては・・・。老後の明かりを求めて節約生活です。不仲な自営業夫婦の憂いある日々に、庭に咲く薔薇や草花に心の癒しを求め。家族の事、庭の事、日々の思いを綴っていきます。
時々覗いてみて頂けたら嬉しいです。

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